Lovely Men 物語 by 直志
ラブリーメン物語(1)
市立金沢高校一年の時、小学4年から同級生の飛山(トンビ)とバレーボール部に共に入部した高木(シゲ)、後にスタッフになる畑不由樹と私が偶然にも同級になり、ここからスタートです。
シゲがお兄さんの影響かアイビーリイガーに関心があり自分たちも影響を受けました。
そのおかげかフォークソングを耳にするようになりました。ボブデュラン・ジョーンバエズ・ブラザース4・キングストントリオを聞くようになりました。
トンビが先にギターを始めていました。バイトをしてギターを買いゼロからのはじまり、シゲがベースをやるということになりドレミから...コードなんて無理!!
1年以上練習、磯子区の杉田小の校庭で夜間練習しました。
音符を読むことが苦手な私は、耳から音が入り覚えるタイプでした。ハーモニーはつけることは何と得意でした。アメリカ等のグループのコピーよりもオリジナルでと3人で考えていました。当時「こきりこ節」を耳にし、自分たちも日本の民謡をと考え、音楽の教科書にあった中部地方の子守唄「守さこもりさ」を見つけトンビがイントロをつけました。ベースのタイコをこぶしで叩くことはシゲのアイデアです。最初のオリジナルは「僕のお嫁さん」次が「小さな恋」だったと思います。
記憶が定かではありませんが、金沢八景の電柱にバンド募集のポスターをトンビかシゲがみて、八景の君が崎の神社の裏・三崎ともやすさんの家いきました。オーデイションです。
三崎さんの知人なのか東京のジュニアジャンボリーのスタッフかわかりませんが、女性が二名いらっしゃいました。
ハマフオークの最初のバンドになりました。最初なのでうまくなくても合格だったのでしょう。ハイコードなど音が出なかったと思います。
市立金沢の軽音楽クラブに入り、フォークソング部門のスタートを切りました。後輩たち「BBQ」「MG4」続々とつづいてくれました。高3の文化祭に出演をし、少し自信がつきました。
山添さんの話にありましたが、ビヤガーデン・箱根・東京・横浜のお店...等練習を重ねました。
ギターとベースを持っての電車移動は大変でした。通勤と重なることもあり、嫌な顔をされたことをおぼえています。
ラブリーメン物語(2)
コンサートに参加するたびに、ステージへの出方に非常に拘りを持っていました。トンビが中央のマイク前にいてギターの1弦と2弦を5フレット目で交差をさせ、ドラムの音と同じ感じが出る・・・そのドラムに合わせて・・・シゲと私が同じ方向から二人でべースを持ち、行進をして出る! 幕が上がる前からベースの太鼓をたたいて「守さ子守さ」に入る! 幕の上がる前からグリンバックダラーのスタートの音から入る!(ラブリーメン唯一の英語の歌)毎回違う出方をしようと常に考えていました。おもちゃのトラックにベースを乗せてシゲが出てきたり・三輪車に乗って出たり・シゲと私が上手と下手から出たり・シゲがベースをギターのように抱えてたり・・・と・・・ギターの実力がない分重要にしていました。 曲の間の会話は、東京に出稼ぎに行ったとき、落語の演芸場で笑って覚えました。シゲとトンビが自由に喋り、私は真中でほとんどしゃべらないで、ギター(12弦)のチューニングをしている。何回かにチョコっと一言しゃべるという図体が大きく・いかついので黙っている方法を考えました。(一番おいしい役だったのかもしれません。)
自分たちのバンドのテーマソングを作りました。テーマソングがあるバンドは少ないですよね。
♪♪いつも思うことだが 女の子には目がないのさ 顔の良さにひかれて ただ恋をする♪ オレ達を見ろ 柄も顔もまずいさ わかっているさ だけど心はいいさ♪ 一度好きになれば 二度と飽きなど来ない 噛めば噛むほど 味が出てくる♪ 今の彼氏など おっぽり出して 恋をするならオレたちにしろ♪ イエー~~~ ラブリーメン♪♪
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ラブリーメン物語(3)
Lovely Men の名前の由来は、バンド練習ができるようになった頃、三人で辞書を引き見つけたんです。オーデイションに行く前に決まりました。≪素晴らしい・美しい・心ひかれる・素敵な・楽しい・気高く・ハンサム≫さてどの訳で決めたのでしょうか?! ハードケースの太鼓側の真ん中に画用紙に下書きをし、カッターでカット白ペンキで中を塗りました。三人で出かける時、何となくうれしくて Lovely Men を皆さんに見てもらえるよう持ち歩るたり、ケースを立てかけたりと宣伝宣伝でしたね。幾つかのバンドが同様していましたね。 尾山さん推薦山添さん作ハマフォークのシンボルマーク・バンジョウボーイが決まってからLovelyMenの隣にマークを張りました。残念なことに3年前に壊れて今はありません。
♪♪ 星のきれいな夜でした ほんのり暗い公園の 隅のベンチに貧しくも 若い二人がおりました♪♪ トコトコトントントントントン ブンチャッチャブンチャッチャ(ワルツです)
♪♪ 最初に彼女が言いました「貴方の腕って硬くて冷たいのね」 彼氏が不思議そうに答えます「 間 、それブランコの手すりだよ」・
彼氏がつづけて言いました「君の眼潤んでいてステキだね」
彼女がゆっくり答えます「 間 私鳥目なの」♪♪
というペースで進みます。私はただ彼氏・彼女が言いましたと言っているだけでした。彼氏はトンビ・彼女はシゲの役でした。シゲの女役が大変うけていました。
「間」というものを大切にできたのも落語のおかげかも知れません。
この「公園の二人」は、どなたか分かりませんが、ラジオ局にテープを送ってくださった方がいて、深夜放送で流れていまして、リクエストもあり秘かにブームになっていた時期があったようです。大学生になった頃突然キングレコードより誘いがあり、「僕のお嫁さん」がキャンパスポップスというLPレコードに10数グループの参加の一曲になりました。
レコーデイングの日、自分たちはギターとベースを持ちスタジオに行きました。初めての体験で(最後の体験でもありますが)緊張していました。スタジオに入った時、曲が流れていましたが、まさかこれが「僕のお嫁さん」だと思うことができませんでした。気がつくのにしばらく時間がかかりました。プロの方々の演奏でクラッシクギター中心でストリングス入っていて、びっくり仰天でした。 ということで自分達の演奏はなく、声だけの収録です。何回もやりナオシ時間がかかったことを覚えています。出来上がったレコードをいただきましたが、自分達の「僕のお嫁さん」とはまったく違った感じがしたこと今でも頭の中に残っています。
確か一曲目が「びっこのもぐら」を歌ったグループ・バンド名思い出せず・六文銭もいたかな・ビリーバンバンもいたかな?記憶が定かではありません。このキャンパスポップスのグループで都内へキャンペーンに出かけました。この中に飯鉢君が思い出にある「豊島園」のコンサートがあり
MG4も同行していったのだと思います。ボケが始まっているようで困ります。
ラジオは、リバテイーンが出演したジミー時田と榊原ルミ子の番組・私たちが出演した時は、土井まさるさんと榊原ルミ子だったと思います。金井克子ショー(TBS)のアマチュアバンド紹介の中で出演させてもらいました。金井さんのダンスと歌に圧倒されました。またTVのスタジオの大きさとスピードを体験できました。コッパン・スリップオン・白のポロシャツ・赤黄色青のVネックのセイターで頑張りましたが、事前に音撮りをしたので口パクで終わりました。楽しい経験をさせていただきました。
ラブリーメン物語(4)
♪♪いつの時代にあったことか 忘れられない思い出を~~(思い出せない)~~世界は一つになろうじゃないか♪♪
この曲は、三崎ともやすさんの歌です。覚えていますか!
ラブリーメンのオーデイションの時にこの歌を聞かせてもらいました。
三崎さんの影響を大きく受け、オリジナルの世界に入ったのだと思います。
ハマフォーク第1回目のコンサートでこの歌を歌っていました。ラブリーメンも負けじとギターのテクニックは劣っていてもやり続けようでした。
Opening は「This land is your land 」だったと思います。TOPバッターがラブリーメンだった様な気がします?
浪人生活中は、ハマフォークに力を注いでいました。大学が決まると、私は体育大学のため、欠課・欠席に厳しい大学のため、ラブリーメンの活動を続けることに支障が生じ練習も儘なりませんでした。キングレコードのキャンパスポップスのキャンペーンへの参加も厳しく欠課と欠席の数と相談・(代返ができない状況)、それでも4年までは、何とかハマフォークに出ようと三人で頑張りました。
トンビは、お姉さんの木工屋(おもちゃ作り)の仕事の手伝いと杉田の薬局屋さん(マッケのお店)の仕事をしていました。
シゲは、大学時代から鎌倉裏駅のそばコーヒーショプ「ロンデーノ」にアルバイト、大学卒業後に社長さんから「ロンデーノ」を任されることになり、実質ラブリーメンを継続することができない状況になりました。ラブリーメンは、解散の状況下におかれました。この時に、解散コンサートをすればよかったのに?!?!
トンビと私は、シゲ抜きでラブリーメンを継続することを選びました。私もO中に就職が決まり、練習も儘ならなくなりました。夜杉田聖天橋通りマッケの薬局屋さんが終了してから練習を少しづつやりましたが、新曲もままならず続けている状態でした。コンサートの参加も少なくなって行ったと思います。
シゲは、その後フランスへ行き、フランス料理の修業に専念をし帰国後、稲村ケ崎に「タベルナ ロンデーノ」を始め、TOPシェフとして有名になりました。皆さんも行かれた方がいらっしゃると思います。
スタッフだったHは、シゲとの付き合いも永くシゲの末期まで一緒にいてくれました。
今は、江の電「材木座」駅裏海の見える墓地に眠っております。
私は教員4年目に女子バレー部が、市大会ベスト4そして5年目に市大会優勝・県大会ベスト8をとることができ、その時の13名の3年生をハマフォークのコンサートにご褒美に招待してあげました。
このコンサートがトンビと私のラブリーメンとしての最後のステージです。
題名なしの最後歌・最後のオリジナル曲です。
♪♪ 初めての君に 僕らの歌は 最初で最後の歌になります 僕らの歌は ~~♪♪
この時にしか歌っていないので歌詞が浮かびません。出演中・大きな声で「直志」と叫んでくれたこと覚えています。この時イタリー製の12弦エコーから初めて待望のギブソンを使いました。(スタッフだった高橋君が楽器屋さんに勤めていたので)
シゲ抜きラブリーメンの解散の日でした。
昨年退職のお祝い会をO中11年間のバレー部OGたちが行ってくれました。この会で最後のコンサートに来てくれた13名全員が参加してくれ、そのテーブルに私が行った時13名で「僕のお嫁さん」を3番まで歌ってくれました。30年以上前のことなのによく覚えているものなのですね、感激でした。トンビとは、最後のコンサート以後会えなくなり、現在に至っています
ラブリーメン物語(5)
同僚・親戚・教え子の結婚式と10数回「僕のお嫁さん」を歌いました。
今年の4月の卒業生の結婚式、62歳の私が歌うと変ですが、最後の「お嫁さん」でした。
♪僕のお嫁さんに 望むことはひとつ ただひとつです
♪たとえどんなに 貴女のその口が
大きくともかまわない 顎が落ちなきゃいい
だから貴女に望むことは あたたかい心♪
♪オラの嫁っ子ぬー 望むこどはすとつ たんだすどつです
♪たどんえどんなぬー おめっ子のその鼻んが
ひぐぐうどもかまわねえー ちずんでなげればええ
だんがらおめっ子ぬ のんぞむこどわー あだだかえこんごろ♪
♪たとえどんなに 貴女が貧しくとも かまわない幸せに僕がしてあげる
だから貴女の望むことは あたたかい心 ♪♪
♪ルンルワルルリルンルワ ルルリルンルワルルリラー
ルンルワルルリルンルワ ルルリルンルワ ルルルラー♪
高校3年の時にイタリア制のEKOの12弦を買いました。
なぜ12弦を選んだのかといいますと、私の指が人一倍太いので6弦ギターですとコードをおさえきれない。これが本当の理由です。
シャリシャリという音は気に入っていました。
のちに6弦にしたのですが、12弦の時よりもチュニングも楽ですし、指の感覚がスッキリしおさえやすく、音もなかなかです。フレットの金属が少しへり変化は出ていますが大事に保管しています。
ハマフォークの復活のおかげで少々刺激を受け、ポロポロンとしております。(チューニングは昔ながらの音叉を使っています。)
我が家の話に突然変わりますが、娘も息子二人も三人とも所帯を持ち外に出ました。よって妻と二人となり何かと不都合が生じることを考えまして、二匹のワンコ=アメリカンコッカスパニエルと同居して2年になります。子供たちの各家に二人づつの孫がおります。中3男子・小6女子・小3男子・小1女子・幼稚園年中女子・6か月男子と計6人の孫に囲まれています。
「小さな愛」
♪あなたのその頬に 涙がこぼれると 僕の心には 悲しみがあふれる
お願いだから 泣かないでおくれ 二人で分けよう 喜びも涙も♪
♪小さな愛を育てた 僕らさ 乗り越えて見せるさ どんなことでも
お願いだから あなたのその頬を 涙で濡らさず 笑っておくれ♪
またまた高校3年の時ですが。出会った映画「卒業」サイモン&ガーファンクルの映画音楽に私は魅せられ、20回ほど見に行きました。
どの場面でどの曲が演奏されるかまでわかりました。もちろんLPをほとんど買いました。
山添さん同様、何回も何回もステレオの針の上げ下げをして音を覚え、コードを探し音を拾いました。お陰様でLPのレコードはすべてダメにしました。
その後「みかん人形」の山口君も私と同じでS&Gファンとわかり、山口君と二人でコードと弾き方の確認をしたことを思い出しました。のちに山口君と私と数名でグループを作り発表したと思います。
1982年(昭和58年)大好きなサイモン&ガーファンクルが初来日、チケットを必死になって手に入れました。当日妻と根岸で待ち合わせをしました。夕方突然の生徒指導で警察関係・職員会議と続き、携帯のない時代で連絡とれず、PM11:00までかかり妻は家に自分の判断で戻っていました。2枚のチケットがキャンセルに、なんとガッカリしたことか恨んでいます。
もうS&Gが解散をし、2度と見れない聞けないと思っていましたが、昨年再結成再来日となり、28年間 一度は諦めたS&Gのコンサートに、妻と一緒に行くことができました。
東京ドームのステージ・全ての曲を口ずさみながら聞けたこと、至福の時間を送ることができました。バンザイ!!です。
私が好きだったアルバムは、ブックエンドなのです。レコードの途中で、煙草にマッチで火をつけ、一服してフウーと煙を吐く音まで収録してあります。LPレコードのケースは、真っ白で凸凹で表わされています。10数曲の流れが劇のようで抜群で「オールドフレンド」 特にお気に入りでした。これでいつ死んでも悔いは残りません。(言いすぎです。)
「手紙」
♪君からの便り 楽しみでいます 逢えなくなって 永いですが
この写真では 少しも変わっていない 元気なようですね♪
「君からの便り、とどきません。 いつも油をいじるので」
♪爪の中まで 真っ黒でいます 黒いマニュキア使おうと
仲間と話し いつか笑いました こちらは元気です♪
★大好きなこの手紙なのですが、あまり歌わなかったせいか、思い出すことができません。
カブベアーズとリバテイーンとラブリーメンが、いつだか思い出せないのですが、一緒に練習したのかな?
場所もハッキリしないのですが、横須賀からのアメリカ人の方々が来てくださって、発音を教えてくださったこと何となく頭の片隅にあります。
「If I had a ship」この歌のshipの発音とsheepの発音の違いを教えていただいた記憶が・・・?!
≪グリーンフィールズ≫ 中華街そば 焼き鳥「鳥文」のむすめさんブンちゃん、 元町の鈴木リカーのSさん、スミノのむすめさん(名前が出ません)に男らしさを引き出したラブリー流のグリーンバックを伝えたことある。
≪志田エッチャン≫のバックでギターを担当したり。楽しかった城さんたちの≪フォークストリングス≫
サウンドのきれいだった≪クラムジーナツツ≫
≪ミークピューパス≫はかわいらしい妹のように感じていたようでした。
一歳下の後輩≪BBQ≫金沢高校の軽音楽同好会の跡取りです
≪望月正臣≫三崎さんの後継ぎかな!面白いカラーを持っていましたね。
≪MG4≫は、金沢の三代目・ハーモニーと若さを感じた(自分たちが年を感じていたのかな)
≪しま≫≪フオークエアーズ≫・・・・順不同
リバテイーンとカブの思い出はさきに少し触れているのでお許しを。
本当に多くのバンドのみなさんとハマフォークを通して親しくなれたこと
忘れられないものですネ!!教育会館の音楽担当のMさん・スタッフでMさんと頑張ってくれたMくん・H 高1からの友人・司会に専念してくれたメーチャン・磯子の写真やのむすめさんのSさん(他2名)・スタッフのT君(楽器屋さん)、I君、K君スタッフでありバンドであり役員でもあり、そういえば皆同じようなものだったのかな!
記憶戻りが悪く時間がかかりました。皆さんに感謝しています。
45年前のことを1ケ月以上思い出す作業をし、少しは老化を停止できた気がします。
ラブリーメン三人で12月26のコンサートを迎えることができていたら・・・・
なんて考えてしまいますが、シゲにもトンビにもこんな物語で、勘弁してもらえたら嬉しいです。 まとまりのないラブリーメン物語これで完結いたします。
おーしまい!!